2014年の夏、私は乳ガンの手術を受けました。
ガン告知のときの心持ちは
「そう~きましたか・・・」でした。
常々ひとは病気で亡くなるのではなく、寿命が尽きたときにお迎えがくるという事を知っていたので全く慌てる事はありませんでした。
お医者さまから見れば「病気」ですが一度たりとも自分が「病人」だと思わなかったのです。
さらにはありがたいことに私の親しい友人が同じ経験をしていたので順を追ってガイドしてくれたことが、本当に大きな心の支えになりました。
この経験を経て、次は支える側になりたいと思いました。
人間ドックのオプション検査で発見
毎年5月末に旦那と人間ドックに行くようになって7年目。
私自身は2年に一回くらいでいいと思ってましたし、肺のレントゲン、バリウム検査もパスしたい気持ちはありました。
が、旦那が「絶対、毎年受けるべき」と強い信念を持ってまして、いつも「おつきあい」の感覚で行ってました。
2014年5月の人間ドックで、オプションで申し込みしていたエコー検査で胸のところの画像を入念に撮られ、「もしかしたら、、、」とイヤな予感はしてました。
検査の後、ドクターの所見を聞く時間があるのですが、そこで、「再検査の必要性」を言われ、、、
2週間後、検査結果の書類が来てから地元の乳腺専門のクリニックを受診。
その2週間のあいだは「きっと、良性の腫瘍」と自分に言い聞かせてはいたのですが、旦那は早く再検査受けにいくようにうるさく言ってました。
ただ、毎日予定が入っていたので、ついつい後回しに。。。
書類が届いてから重い腰をあげ、クリニックに予約の電話をしたのですが、結構混み合っていて隙間に押し込んでもらいました。
マンモグラフィーには写らなかった。。。
クリニックで細胞診と触診とマンモグラフィー。
「マンモグラフィーに写ったら良性か悪性かわかるんだけどね」と。
私の場合は写りませんでした。
細胞の検査結果は、、、
マンモグラフィーによる診断ができなかったのですが、次に実際に針を刺して細胞の検査がありました。
1週間後検査結果を聞きにいくと、5段階中「4」
ガンでない場合も少しあるということでその何%の確率にかけることに。
再検査は「手術の同意書」がいるらしくその日はできず。
毎年、6月の末の週末は沖縄へ家族旅行へいってるのですが、帰って翌日に再検査を受けることになりました。
再検査には手術の同意書が必要
沖縄の家族旅行から帰った翌日、手術の同意書を持ってクリニックへ。
ベッドに横になると手術にかけるあの青のシートを胸にかけられ、麻酔し、太い針のようなものを刺して細胞を取ります。
友達から「怖いし見~ひんほ~がいいで~」っと聞いていたので、できるだけ見ないように努めました。
再検査の結果、乳ガンが確定
七夕あたりに再細胞診検査の結果、「ポジティブ」
「え?私、ポジティブやもん」と一瞬思いましたが、細胞の検査の結果は「悪性」という意味。
その日は「ガン」告知だけ。
横の処置室には看護師さんが待機されていて、きっと泣き崩れる方が多いので、その応対の準備をされていたようでした。
「塩見さん、大丈夫ですか?」と声かけていただきましたが、
「はい、ありがとうございます」(多分、ポーカーフェイス)
先生は1週間後、どの病院にするか決めてきてくださいということでした。
「どこかオススメがありますか?」とお聞きすると
「今、ガンは標準治療となってますので、どこで手術を受けられても変わりませんよ」
という言葉のあとに何カ所か病院の候補を伝えていただきました。
ガンは情報戦、病院選びへ
「そっか~、どの病院でも変わらないのなら直感で決めよう~」と思いまして。
(昔から「直感」で仕事をしていますので)
看護師さんにも「どこが多いですか?」とお聞きすると
「手術前に何回も検査に行く必要があるので、交通の便の良いところがいいですよ」とアドバイスいただきました。
(このクリニックでは一切病院のオススメはなかったです。)
後から考えると、放射線治療に毎日通うことになると想定しておいて、正解でした。
それまで「ガン関連」のネットは一切見ていなかったので、病院選びで始めて検索などし始めました。
だって「黒」とわかるまで決して自分では認めていませんでしたから。
ネットで検索したりすること自体、病気を「引き寄せ」してることになるような気がしてました。
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